嫌いな人がますます嫌いになる理由。苦手意識をやわらげる「見方の変え方」

この記事の要点

  • 一度「嫌いな人」と決めると、その印象に合う行動ばかりが目につきやすくなります。
  • 嫌いな相手を無理に好きになる必要はなく、「嫌い」という大きなラベルを具体的な事実へ分解するだけでも見え方は変わります。
  • 相手を変えるより、自分がどこへ意識を向けるかを変えた方が、人間関係で消耗する時間を減らしやすくなります。

どうも岩崎です。

今日は「どうしても苦手な人」の話です。

なんかこの人、苦手だな。

理由はうまく説明できないけど、どうも好きになれない。

こういう人って誰にでもいると思うんですね。

別に、世の中の全員を好きになる必要なんてありません。

嫌いなら嫌いでいいと思います。

ただ、問題なのは、その相手と毎日のように会わなければいけない場合です。

上司だったり。

部下だったり。

取引先だったり。

嫌いだからといって簡単に離れられない相手っていますよね。

そういう相手を毎日見ながら、

「あー、今日もあいつと話さなきゃいけない」

と思っていると、それだけで結構なエネルギーを使います。

しかも面白いことに、一度「この人は嫌い」と思うと、さらに嫌いになりやすいんですね。

一度「嫌い」と決めると、嫌なところばかり見えてくる

例えば、ある人に対して、

「この人、嫌味な人だな」

と思ったとします。

すると次から、その人の嫌味っぽい発言がものすごく目につくようになります。

普通に話している時はあまり記憶に残らない。

でも、ちょっと嫌味なことを言った瞬間に、

「ほら、やっぱりこの人は嫌味だ」

となる。

自分が最初に持った印象を裏付ける情報ばかり拾ってしまうんですね。

これは人間には、自分がすでに持っている考えと一致する情報へ目が向きやすい傾向があるからです。

だから、

「この上司は嫌い」

と思えば思うほど、嫌いになる材料が集まってきます。

「この部下は使えない」

と思えば思うほど、できなかったことばかりが目につきます。

そして最後には、何をされても腹が立つようになるw

これ、相手が変わったというより、自分が見る場所を固定してしまっている場合もあるんですよね。

「嫌い」は事実ではなく、大きなラベル

ここで一度考えてほしいんですが、

「あの人が嫌い」

って、かなり大きな言葉なんです。

人間一人を丸ごと「嫌い」という箱に入れています。

でも、本当にその人の全部が嫌いでしょうか。

よく考えてみると、

話を遮るところが嫌い。

上から目線の話し方が嫌い。

時間を守らないところが嫌い。

仕事を人に押し付けるところが嫌い。

というように、実際に嫌なのは、その人そのものではなく、特定の行動だったりします。

この違いって結構大きいです。

「あの人が嫌い」だと、相手が存在するだけでストレスになります。

でも、

「話を遮られるのが嫌だ」

なら、対処できる可能性が出てきます。

人間全部の問題から、具体的な行動の問題になるんですね。

無理に好きになる必要はない

元のテーマは「嫌いな人を好きになる方法」なんですが、私は無理に好きにならなくてもいいと思っています。

だって嫌いなものは嫌いですからw

嫌いな人を見ながら、

「私はこの人が大好きです」

なんて思い込もうとしても、なかなか無理があります。

それよりも、

「この人は嫌い」

から、

「この部分は苦手」

くらいまで戻せれば十分だと思うんですね。

0か100かにしない。

大嫌いから大好きになる必要はありません。

大嫌いを「まあ普通」にできれば、それだけでかなり楽になります。

嫌いな人への見方を変える3つの質問

では具体的にどうするか。

紙でもスマホのメモでもいいので、まず相手の名前を書きます。

その下に、次の3つを書いてみてください。

  1. 私は、この人の「何」が嫌なのか?
  2. 本当にいつもそうなのか?そうではなかった時はないか?
  3. この人の中で、仕事上使えるところ、助かっているところはないか?

これを考えます。

例えば、

「嫌味な上司」

ではなく、

「人前でミスを指摘されるのが嫌だ」

と書く。

でも考えてみたら、一対一の時には普通に教えてくれたこともあった。

さらに、仕事の判断は速い。

そうやって情報を増やします。

別に「本当はいい人だった!」という結論に持っていく必要はありません。

目的は、嫌いという一つの情報だけで、その人全部を見なくなることです。

人は見たいものを見ている

これ、写真とよく似ているんですよね。

写真って、目の前にあるもの全部を写しているように見えます。

でも実際は違います。

カメラをどこへ向けるか。

どこまで入れるか。

何にピントを合わせるか。

それを撮る側が選んでいます。

例えば同じ場所に、ゴミ箱と花があったとします。

ゴミ箱へカメラを向ければ、汚い場所に見える。

花へカメラを向ければ、きれいな場所に見える。

場所そのものが変わったわけではありません。

どこを切り取ったかが変わっただけです。

人間関係も、これと似ていると思っています。

一度「嫌い」というところへピントを合わせると、その人の嫌な部分ばかりが大きく見えます。

だからといって、嫌な部分を見ないふりをする必要はありません。

ただ、「他には何があるんだろう」と一度カメラを振ってみる。

それだけで、人物全体の見え方が変わることがあります。

「嫌いなところを探すゲーム」になっていないか

嫌いな人と長く付き合っていると、いつの間にか相手の欠点探しがゲームみたいになることがあります。

相手が何かする。

「またやった」

何か言う。

「やっぱりこの人はこうなんだよ」

証拠が一つ増えるたびに、ちょっと勝ったような気さえしてきますw

でも、困るのは相手より自分なんですよね。

相手の嫌な部分を一日中探しているということは、自分の意識を一日中そこへ使っているということです。

嫌いな相手に、自分の時間と集中力を無料で渡しているようなものです。

これはかなりもったいない。

相手のためではなく、自分のために見方を変える

ここも大事なんですが、相手を許しましょうという話ではありません。

理不尽なことをされたなら、距離を取った方がいい場合もあります。

仕事なら、はっきり伝えなければいけないこともあります。

我慢し続ければいいという話でもありません。

ただ、距離を取れない相手のことを毎日考えて、毎日腹を立てて、毎日自分が消耗しているなら、それは自分にとって損ですよね。

だから見方を変えるのは、相手のためではありません。

自分のためです。

相手を好きにしてあげるためではなく、相手に奪われている自分の時間を取り戻すためです。

撮影でも「苦手」と決めた瞬間に見えなくなるものがある

撮影でも似たことがあります。

「これは苦手だ」

と最初から決めてしまうと、その苦手な理由ばかり探し始めます。

昔、逆光は失敗写真だと思っていた時期がありました。

光が正面から入ってくる。

コントラストが落ちる。

フレアも出る。

「だから逆光はダメだ」と思って見れば、ダメなところはいくらでも見つかります。

でもある時、逆光だからこそ輪郭に光が回って、すごくきれいに見えることに気づきました。

逆光そのものは何も変わっていません。

私がどこを見ているかが変わったんです。

それまで「失敗の原因」として見ていたものが、「この光だから作れる表現」に変わりました。

人間も同じなんじゃないかと思うんですね。

嫌なところがなくなるわけではありません。

でも、それだけがその人の全部ではない。

嫌いな人を好きにしなくても、楽にはなれる

ということで、嫌いな人を無理に好きになる必要はありません。

まずは、

「あの人が嫌い」

ではなく、

「私は、あの人の何が嫌なんだろう?」

と考えてみてください。

そして、

「本当にいつもそうなのか?」

「そうじゃなかった時はないか?」

「この人に助けられている部分は本当にゼロなのか?」

と、少しだけピントを動かしてみる。

大嫌いが大好きにならなくてもいいんです。

大嫌いが「まあ、そういう人だよね」くらいになれば十分です。

嫌いな人のことを考えて一日30分使っていたなら、その30分が戻ってきます。

その時間を、好きな人や好きな仕事、自分がやりたいことに使った方が良いに決まっていますよね。

相手を変えるのは難しい。

でも、自分がどこを見るかなら少し変えられます。

それでは!

よくある質問

嫌いな人を無理に好きになる必要がありますか?

ありません。無理に「好きだ」と思い込むより、「その人全部が嫌いなのか、それとも特定の行動が苦手なのか」を分けて考える方が現実的です。大嫌いという状態から「まあ普通」くらいまで戻せるだけでも、ストレスは減らしやすくなります。

嫌いな人の良いところを探すだけで、苦手意識はなくなりますか?

必ずなくなるわけではありません。目的は「良い人だと思い込むこと」ではなく、嫌いという一つの印象だけで相手全部を判断していないか確認することです。嫌な部分と、それ以外の部分を分けて見られるようになるだけでも十分です。

相手から実際に嫌なことをされている場合も、見方を変えるべきですか?

理不尽な言動や継続的な問題があるなら、無理に良く解釈する必要はありません。距離を取る、仕事上のルールを決める、必要な相手へ相談するなど、具体的な対応が必要な場合もあります。「見方を変える」は我慢するためではなく、必要以上に自分が消耗しないための方法です。

P.S.

写真って、何を写すか以上に「何を見ないか」も大事なんですよね。同じ場所に立っていても、どこへカメラを向けるかで写真はまったく変わります。人間関係も似ていて、嫌な部分だけにずっとピントを合わせていたら、その人は嫌な人にしか見えません。嫌いなところを消す必要はないけど、たまには少しカメラを振ってみる。それくらいでいいと思っています。

いわさきじゅん

1998年に広告制作会社で写真が始まり、アートイベント会社の広報として活動していました。まだあまりウェブマーケティングが普及していない2006年からSEO(検索エンジン対策)・リスティング広告(PPC広告)・LPO(ホームページ対策)・コピーライティングなど、サポートをしています。