例えば、みんな「花」を撮りたいと思って、みんな同じような綺麗な写真を撮っていますが、いかにカメラの機能に頼って、綺麗な「花」は撮れても、それだけじゃ感動的なものはなかなかできない。
もっと「花」の生命に直接ぶつかるような写真じゃないと、人は感動しないもの。
感動する写真とは
なので、「花」を撮りたかったら、生け花の勉強をしたっていいですよね。
もしくは、日本画の花の絵を観賞してもいい。
それによって、普段見ているものとは違った花の美しさを引き出せると思う。
つまり、美意識を育てることが大事なんです。
また、「花」が美しく見れる時間とか、「花」に光がどう当たるか、花の咲き具合とか、そうゆうことを知る感覚を養っておけば花の生命をよく捉える事ができる。
生け花の先生は、「花」が一番美しい旬の時に生ける。私も生け花を習った事もありますし、撮った事もありますが、その時、先生は何気なく生けているようだったけど、
「全ての一本一本の花の存在を主張しているんだ」と言っていました。
無駄な花は一本もないという事
つまり、生け花には無駄な花は一本もないという事。
どんなに色々な花を生けても、それぞれがみな、役割があって全体を構成しているという事なんです。
生け花には主役があって、脇役があって、それぞれのはなそのものが、自己主張をしています。それなら、そう撮らなくてはいけない。それぞれの花のポイントとなる個性的な美しさを引き出すことが花の写真というものだと思います。
自然の花を撮る時のポイント
自然の中の花を撮るにしても、その花の持つ美しさをどう引き出すかを考えて撮ったら、絶対に美しい写真が撮れるはずだからです。
こうやって、写真を通じて、花に対する自分の心を表現し、また、自分の心を花に託して表現することになってきます。
山の上に群生する花を撮ってもいいし、風景を入れて撮ってもいいし、また反対にマクロな目を持って花びら1枚だけ撮ってもいい。
野に咲く一輪の花にも壮大なドラマがあって、美しく咲く時、枯れた姿など、四季折々のその表情を作品にしてもいい。
つまり、「花はこう撮るものだ」というような概念にとらわれてはいけないし、そもそもそんなものはないので。もっと自由な眼を持って、自分の心に映る「美の世界」を表現することなんだと思います。
メイプル・ソープという写真家
アメリカのメイプル・ソープという有名な写真家がいます。
この人はHIVで亡くなりました。彼の「Flowers」という作品を見ると、花の美しさももちろん、花が持っている妖艶な感覚を表現し、なんとも言えない感情がある。
それは、死の淵に立つ写真家の、生の美しさを強く象徴していると思えるからです。
まさに、作家の眼で見た花であり、作者自身なんです。
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