どうも、いわさきです
写真力というもの
人はなぜ写真を撮りたがるのかというと、写真の持っているひとつの力というか、写真力。こういったものがあるからだと私は思います。
例えば、10年前、20年前、50年前、100年前に撮られた写真を見ても、写された当時の情景が蘇ってくるのは、誰でも経験した事があると思います。
特に自分が覚えている場面、
例えば、自分の子供の頃の写真を見ると、その時の情景だけではなく、周囲の事柄までふわっと頭に浮かんできますよね。
そういった力が写真にはあります。
蘇る記憶の写真
絵画とかもそうだと思いますが、写真は記憶としてのリアリティーがあります。
セピア色に変色した私たちの知らない写真を見たとしても幕末の情景が目の前に現れてきます。
そういった力が写真にはあります。
「写真力」と言えば良いかわかりませんが、1種の力があります。
だから、記念写真であっても、自分がきれいに撮ろうと思えば、自分の思い通りに撮っておけばいいんです。
それを10年後に見たとき、自分はこの時、こんな気持ちだったなーというようなことが伝わってきます。自分の存在がよみがえってくるんですよね。
写真を撮るという人の本能
人が写真を撮るのは、本能みたいなものだと思います。
人が洋服を着るのと同じようなもの。
寒さや暑さの対策だけではなく、好きなものを身に付けて歩きたいという欲望によって、洋服を着ていますよね、まさに本能のようなものです。
人に写真を撮らせるのも、記録に残しておきたいという本能的なものが、それを欲しいと思うからだと私はいつも感じています。これは本能が自然に撮影という行為をさせているんです。
本能が写真を撮らせるというのは、先程言った写真力があるからです。
綺麗に撮ろうという意識が生まれるのは、当然良い写真を作りたいと言うことです。だから写真の持つ力というのは、将来に蘇る、蘇りと同時にその時の自分自身の心の表現でもありますね。
自分を表現したいと言う欲望も、写真を撮る行為につながるからだと思います。自己表現を言葉で伝えるのが、小説だとすれば、カメラで表現するのが写真だという事。
写真には、先程言った記録と創造の2つの面があります。写真のリアリズムは記憶を再生させるための記念として残しておく面でもあり、写真のアート的な面は自己表現という創造的の部分です。
そういった2つのものを伝えていくのが、写真の力です。
なので、私は常に写真で自己表現をして、記録として自己存在を残してくださいね。と教えています。