この記事の要点
- 自分を動かす力は、気合いで無理やり走る力ではありません。
- 本当に強いのは、苦痛が少ない形で自然に続けられる状態です。
- 無理を美徳にするより、意志とやりがいで動ける設計の方が長く強くなります。
どうも岩崎です。
この前、少し面倒だなと思っていた作業があったんですね。やらないといけないのはわかっている。でも、なんとなく手が伸びない。そんな感じです。
ただ、その横にあった別の仕事は、気づいたら普通に進めていたんです。同じ日に、同じ私がやっているのに、片方は重い。片方は自然に進む。不思議ですよね。
昔はこういう時、重い方に対して、自分は気合いが足りないんじゃないかと思っていたんです。でも今は、少し見方が変わりました。これは根性の問題というより、その作業が自然に動ける形になっていないだけかもしれない、と考えるようになったんですね。
今日はその話です。自分を動かす力とは、根性ではなく苦痛なく続ける力です、という話ですね。

自分を動かす力を、根性だと思うと苦しくなります
世の中では、自分を動かせる人というと、気合いがある人、根性がある人、意志が強い人、という見られ方をしやすいですよね。
しんどくてもやる。疲れていてもやる。気分が乗らなくてもやる。もちろん、そういう強さが必要な場面はあります。でも、それを標準装備にしてしまうと、前回の話の通り、どこかで摩耗しやすくなるんですね。
なので、私はここを少し分けて考えた方がいいと思っています。
- 気合いで無理やり動く力
- 自然に続けられる形で動ける力
この二つは似ているようで、かなり違います。短期で強いのは前者です。でも、長く強いのは後者なんですね。
自分を動かす力というと、つい前者を想像しがちなんですが、本当に事業で効いてくるのは後者の方だと思うわけです。
本当に強い人は、苦痛が少ない形で続けています
ここはかなり大事です。
外から見ると、ずっと動いている人って、根性があるように見えるんですね。あの人はすごい。意志が強い。自分には真似できない。そんなふうに見えやすいです。
でも実際には、その人は自分に合う形を見つけているだけかもしれません。作業時間が合っているのかもしれない。発信の形式が合っているのかもしれない。やることの順番が自然なのかもしれない。つまり、頑張っているように見えて、本人の中ではそこまで無理をしていない可能性があるんですね。
私はここをかなり重要だと思っています。なぜなら、長く続いている人ほど、苦しさで走っていないことが多いからです。
比較するとわかりやすいです。
- 毎回しんどいけれど、気合いで何とかやる人
- 負担が少ない形で、淡々と続けられる人
どちらが長く強いかというと、やっぱり後者なんですね。前者は立派なんですが、常用すると削れます。後者は派手ではないですが、止まりにくいです。
やる気が続く人は、気合いが強いのではなく、やりがいの回路があることが多いです
ここも誤解されやすいところですね。
自分を動かせる人を見ると、意志が強いから動けるんだと思いがちです。でも、実際にはそれだけではないと思っています。むしろ、やっていることの中に、意味や手応えや納得感があるから動ける、という方が近いことも多いんですね。
たとえば、同じ発信でも、義務感だけでやると重くなります。やらないといけない。更新しないといけない。投稿しないといけない。こうなると、毎回少しずつしんどいわけです。
でも、自分の考えが整理される。お客さんの反応が返ってくる。役に立った感覚がある。世界観が積み上がる。こういう手応えがあると、同じ発信でもだいぶ変わりますよね。
つまり、続くかどうかは、根性だけではなく、やりがいの回路があるかどうかも大きいんです。
無理を美徳にすると、続けられる形の価値を見失います
真面目な人ほど、ここにハマりやすいと思います。
しんどいのにやった。眠いのにやった。疲れているのにやった。もちろん、それ自体は立派ですし、その場面では必要なこともあります。ただ、それを高く評価しすぎると、無理をしないで続けられる形が、何となく甘く見えてしまうんですね。
でも、本当に強いのは、無理をしないことではなく、無理を前提にしないことです。ここはかなり違います。
比較するとこうです。
- しんどさに耐えられる自分を評価する人
- しんどさが増えにくい形を作る人
後者の方が、長期ではかなり強いんですね。なぜなら、事業は一日だけ頑張れば終わる話ではないからです。売上も、発信も、改善も、信頼も、全部積み重ねです。だったら、積み重ねられる形の方が価値が高いわけです。
苦痛なく続けるとは、楽をすることではありません
ここは少し丁寧に言いたいですね。
苦痛なく続けるというと、何でも楽な方を選ぶことに聞こえるかもしれません。でも、私はそういう意味では使っていません。大事なのは、努力しないことではなく、努力が無駄に削れない形にすることなんです。
たとえば、発信をゼロにするという話ではないんですね。毎日短文SNSがしんどいなら、週一の長文記事の方が合うかもしれない。書くのが重いなら、先に話してから整える方が自然かもしれない。顔出し動画が苦しいなら、文章や音声や写真中心の設計の方が続くかもしれない。こういうことです。
つまり、苦痛なく続けるというのは、楽をすることではなく、自分の力を無駄に摩耗させないことなんですね。
自分を動かす力とは、自然に着手できる状態を作ることでもあります
もう一つ大事なのはここです。
自分を動かす力というと、心の中の何かだと思われやすいんですが、実際にはもっと具体的です。手をつけやすいか。最初の一歩が重すぎないか。始めるまでの摩擦が小さいか。こういう設計の話でもあるんですね。
同じ人でも、始めるまでが重い仕事は止まりやすいですし、着手が軽い仕事は進みやすいです。だから、自分を動かす力を高めるというのは、もっと頑張ることではなく、自然に始められる形を作ることでもあるわけです。
この話は次回以降の環境設計にもつながりますが、少なくとも今日の段階では、動ける人とは、いつでも気合いを出せる人ではなく、動きやすい状態を作れている人でもある、ということですね。
自分を動かす力とは、根性よりも、続けられる自分を作る力です
ここまでの話をまとめると、やっぱりこれなんです。
自分を動かす力とは、根性ではなく苦痛なく続ける力です。しんどくても走れることを否定したいわけではありません。でも、それを自分の標準装備にしてしまうと、どこかで削れます。本当に強いのは、意味や納得感があり、負担が少ない形で、自然に続けられることなんですね。
だから、自分を動かす力を高めたいなら、意志の弱さを責めるより、どうすれば苦痛が減るか、どうすれば自然に着手できるか、どうすればやりがいの回路が作れるかを見た方がいいわけです。
次回は、その流れで、頑張る前に、動ける環境を作った方が早いです、という話に入っていきます。
よくある質問
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自分を動かす力とは、結局意志の強さのことですか?
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私は、そこまで単純ではないと思っています。意志の強さも一部にはありますが、実際には、苦痛が少ない形になっているか、意味や手応えがあるか、自然に始められる設計があるかの方が大きいことが多いです。
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苦痛なく続けるというのは、楽なことだけやるという意味ですか?
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そうではありません。努力しないという意味ではなく、努力が無駄に削れない形にするという意味です。同じ努力でも、自分に合う形にした方が長く積み上がりやすいんですね。
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何から見直せばよいですか?
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まずは、自分がどの作業で強い苦痛を感じているかを見ることですね。その上で、形式、順番、頻度、着手方法を少し変えるだけでも、続けやすさはかなり変わります。
P.S.
昔の私は、重い仕事ほど価値があるような気がしていた時期がありました。でも今思うと、それは少し危ない勘違いでしたね。重いことが尊いのではなく、ちゃんと続いて役に立つことの方がずっと大事です。あの頃の自分に、もう少し早く教えてあげたかった話です。
