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【終了】金魚写真アート展

2023年8月17日から9月5日まで開催された「金魚写真アート展」に、たくさんの皆様がご来場いただき、また多くの方々がイベントにご参加いただき、心より感謝申し上げます。

金魚は約500年前に日本に紹介され、今でも多くの愛好者に支持されている観賞魚です。その歴史を振り返ると、金魚は日本で長い間、育成され、品種改良が行われ、観賞用に特化した魚として発展しました。この歴史を知ることで、金魚の美しさや魅力がさらに理解できることでしょう。ご興味のある方は、ぜひ以下をご覧いただければと思います。

日本の金魚の歴史

金魚は、中国で赤いフナが発見されたことを起源とし、長い歴史の中で品種改良が行われ、大部分の現代の金魚は中国から伝わったものです。

日本への初めての金魚の渡来は、室町幕府時代の文亀元年(1502年)に泉州左海の津(現在の大阪府堺市)に記録されています。当時の社会は混乱の時代であり、金魚もこの時期には絶滅の危機に瀕していました。

応仁の乱

しかし、江戸時代の元和年間(1615年〜1622年)に、徳川2代将軍秀忠公の時代に再び中国から金魚が渡来し、今日の金魚の基礎が築かれました。当初は単に「金魚」と呼ばれ、後に他の品種が導入されると、これらと区別するために「和金」という名前が付けられました。また、ワキンは突然変異によって誕生し、1661年から1672年頃には尾張と三河地方で改良が進み、ジキンとして知られるようになりました。

徳川2代将軍秀忠

1680年には江戸時代に金魚が没収された時期もありましたが、その後再び広く愛好されるようになりました。18世紀に入ると、各地で金魚の飼育が行われ、特に上野向ヶ丘で金魚屋が店を構えていたことが記録に残っています。当初は富豪や武家階級の贅沢な愛玩物でした。

19世紀に入ると、新たな品種が次々と登場しました。マルコ(朝鮮金魚)は、中国から渡来し、出雲で飼育が始まり、品種改良が進みました。また、オランダシシガシラ型の金魚であるツガルニシキも誕生しました。琉金も中国から薩摩の国を経て日本に渡来し、リュウキンとして知られるようになりました。さらに、オランダシシガシラとリュウキンを交配させて誕生したのがワリウで、ワトウナイとも呼ばれました。

金魚養殖は各地で盛んに行われ、品種改良が進みました。特に、弥富地方での金魚飼育は、明治時代初期から始まり、発展していきました。

安永から天明年代(1772〜1788年)に入ると、中国から琉金が薩摩の国(鹿児島県西部)に渡来したと言われ、琉球を経てきたので、リュウキンという名で呼ばれるようになったのです。19世紀に入ると、寛政12年(1800年)に刊行された「長崎見聞録」に獅子頭金魚を、”長崎にたしなみ持つ人あり”と述べているので、オランダシシガシラはリュウキンと前後して日本に渡来したのではないかと思います。

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明治時代には、日本国内で新しい品種の金魚が生まれました。ハナフサやワリウなど、さまざまな変種が登場し、金魚の魅力が広がりました。品種改良に努力した石川家の石川亀翁氏など、金魚愛好者たちの功績も顕著です。

徳川慶喜の肖像画

このように、金魚は長い歴史の中で日本人に愛され、育てられてきました。金魚写真アート展は、その美しさや歴史を後世に伝え、永遠に残すことを目指しています。